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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)9963号 中間判決

原告 山崎ヒサ子

右法定代理人後見人 山崎正雄

右訴訟代理人弁護士 小林澄男

同 萬羽了

同 森川正治

被告 株式会社 竹中工務店

右代表者代表取締役 竹中錬一

右訴訟代理人支配人 小笠原平一郎

右訴訟代理人弁護士 正田昌孝

被告 木元庸夫

右訴訟代理人弁護士 沼田安弘

主文

原告の本件訴えに関する被告らの裁判管轄権を理由とする本案前の主張は理由がない。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し、各金一六一一万円及びこれに対する訴状送達の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告らの本案前の抗弁

1  本件訴えを却下する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

原告は、昭和四八年一一月一八日午後五時三〇分ころ、被告木元庸夫(以下被告木元という。)運転の普通乗用自動車の助手席に乗車し、タイ国バンコック市バヤタイ通りを進行中、同被告が急ブレーキをかけたため、自車の前部を反対車線に突っ込み、対向車二台と衝突したため、その衝撃により頭部打撲、左肩骨折、左助骨(二本)骨折等の傷害を負った。

2  責任

(一) 被告株式会社竹中工務店(以下被告会社という。)

本件事故当時、被告会社は本件事故車を所有していたのであるから、法例一一条により適用されるタイ国シビル・アンド・コマーシャル法四三七条により原告の被った後記損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告木元

被告木元は、昭和四八年一一月二九日、原告の代理人である訴外山崎正雄に対し、原告の入院加療に要する経費及び後遺症が残る場合はその費用を負担し、死亡または意識が回復しない場合には、その時点で協議のうえ処置方法と保障金額を決定して支払う旨約したから、右契約により、仮に右契約が認められないとしても、本件事故当時本件事故車を運転していたのであるから前記タイ国シビル・アンド・コマーシャル法四三七条により原告の被った後記損害を賠償すべき義務がある。

3  損害

(一) 逸失利益

原告は本件事故により前記のような傷害を負い、そのため現在では全身が麻痺し、寝たきりの状態で、そのうえ言語障害も併発し、全くの廃人となり、通常の社会生活に復帰することは絶望的であるところ、同人は本件事故当時四一歳の健康な女性で、バンコック市内の日本料理店「菊水」に勤務し、毎月金一二万円以上の収入を得ていたうえ、住居の提供を受け、食事も同店で支給されていたもので、本件事故により前記のような傷害を負わなければ、今後少なくとも一〇年間は右収入を得ることができたはずであるから、ラィプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の本件事故後一〇年間の逸失利益の本件事故当時の現価を求めると金一一一一万円(一万未満切捨)となる。

(二) 慰藉料

原告は本件事故により前記のような傷害ならびに後遺症を負い、多大な精神的苦痛を受けたが、右苦痛を慰藉するには金五〇〇万円が相当である。

4  結論

よって、原告は被告ら各自に対し、各金一六一一万円及びこれに対する本件訴状が被告らに送達された日の翌日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告らの本案前の主張

1  被告会社

本件訴えについてはわが国に裁判管轄権はなく、したがって東京地方裁判所に管轄権はない。すなわち、

(一) 本件訴えは、不法行為(交通事故)に基づく損害賠償請求であり、右交通事故はタイ国バンコック市内において発生したものである。

ところで、国際裁判管轄権については、わが国においては民事訴訟法八条のほか明文の規定がなく、判例上も少なくとも財産関係については確立した原則はなく、条理によるほかなく、条理による国際裁判管轄権の決定については、これを裁判管轄の国際的規模での場所的分配の問題として考え、渉外事件についていかなる国で裁判を行なうことが、裁判を最も適正、公平かつ能率的に行なうのに適しているかを考慮して決定すべきであり、こうした見地からのみわが国の民事訴訟法の規定を類推すべきであって、単に国内裁判管轄に関する規定から逆にこれを推知すべきではない。

(二) そして、不法行為に基づく請求については、証拠収集ならびに審理についての便宜、さらには不法行為は行為地の公の秩序と関連しているところ、本件の原因が交通事故であるため特に事故内容についての事実認定が正確になされなければならないが、被告両名のうち事故の直接の当事者である被告木元はタイ国に居住しているうえ、証拠方法として通常予想される刑事記録の取寄、検証、証人尋問、鑑定等どれ一つとして日本国内の裁判所において本件を審理した場合に実行可能なものはない。

(三) また、民事訴訟は私人間の紛争解決を図るための制度であるから、訴訟当事者を能う限り平等に遇し、それぞれに利益主張の機会を与えなければならず、被告会社が日本国法によって設立され、日本国に主たる事務所を有する法人であるとしても、被告にとってはタイ国の裁判所によって審理を受けないかぎり、前記のような立証活動は不可能である。

(四) さらに、被告会社は本件交通事故の直接当事者ではなく、その賠償責任の有無は主として被告木元の訴訟活動の結果によって定まるもので、被告会社はいわばこれを補助する従たる立場にあるところ、被告木元はわが国に住所がなく、同被告に対する本件訴につきわが国に管轄権がないのであるから、被告会社についても管轄権を認めるべきではない。

仮に、本件訴につき被告木元に対する関係でわが国に管轄権があるとしても、国際的裁判管轄権の決定にあたっては国内民事訴訟法の規定にみられる主観的併合の場合の関連裁判管轄権を認めるべきでなく、被告会社に対する関係では全く別個に判断されるべきである。

(五) そして、原告及び被告木元がともにわが国国籍を有し、かつ原告が経済的に困窮しているとしても、以上の理は変らず、右のことからわが国に管轄権を認めるべきではない。

以上のとおりであるから、本件訴えについてはわが国に裁判管轄権を認めるべきではない。

2  被告木元

本件訴えについてはわが国に裁判管轄権はなく、したがって東京地方裁判所に管轄権はない。すなわち

(一) 本件のような渉外的な要素を有する事件につきわが国に裁判管轄権があるか否かについて実定法上規定がないから、この場合には条理としての国際民事訴訟法により裁判管轄権を決し、その決定にあたっては、国内法を国際的な面にも投影させるという考え方からのみわが国の民事訴訟法の土地管轄に関する規定を斟酌すべきであって、国内的管轄の規定から遂に推知すべきではない。

そして、本件訴えはタイ国バンコック市内において発生した交通事故に基づく損害賠償請求事件であり、原告は第一次的には和解契約により、第二次的にはタイ国シビル・アンド・コマーシャル法四三七条によりそれぞれ損害の賠償を求めているが、右両者は単なる攻撃方法にすぎず、本件訴訟物は不法行為による損害賠償請求であると解すべきであるところ、不法行為に基づく損害賠償請求は不法行為の成否が行為地の公の秩序と関連していること及び証拠収集の便宜等の観点から不法行為地に裁判管轄権があるとするのが相当である。そして、本件については被告木元自身はバンコック市に居住しているうえ、審理にあたっては事故発生地たる同市内の交通事情、自動車の運転状況、関係法律等を明らかにするとともに事故の記録の取寄せ、現場検証、鑑定、バンコックの官憲ないし証人の協力等も必要で、これらはわが国の裁判所において審理する場合には著しく困難で、被告の立証活動を一方的に著しく困難にさせることになる。

(二) 仮に、わが国の民事訴訟法二条二項の規定を斟酌もしくは類推して裁判管轄権を決すべきであるとしても、同規定は、日本における住所ばかりでなく外国における住所をも知れないときと解すべきであり、居所による普通裁判籍は世界中のいずれの国にも住所のない者についてのみ認められることになり、最後の住所によるそれも世界中のいずれの国にも居所を有しない者が最後の住所を日本に有したときはじめて認められると解すべきである。ところが被告木元は数年前からタイ国バンコック市内に居住し、同地に永住する決意であり、日本には住所がないことはもちろん、住民登録さえない者であるから、わが国の民事訴訟法二条二項の規定からもわが国には裁判管轄権はない。

(三) また、仮に被告会社についてわが国に裁判管轄権があるとしても、被告木元は被告会社とは別個独立の主体で、訴訟活動も全く別個なはずであるから、被告会社に対する関係で裁判管轄権があるとしても、被告木元に対しても裁判管轄権があることにはならない。

三  被告らの本案前の主張に対する原告の主張

1  国際的な裁判管轄権についてはわが国法上成文の規定がないため、もっぱら解釈に委ねられており、財産関係の訴訟については国内の裁判権行使の分掌の規定である国内裁判管轄の規定から逆にこれを推知すべきであると解するのが一般的で、かかる考え方によるときは、本件につきわが国に国際的裁判権の存することは問題がない。

すなわち、被告会社は大阪市にその主たる事務所があるから民事訴訟法四条一項により、また被告木元も現在はわが国に住所ならびに居所がないとしても、かつてはわが国に住所を有していたのであるから同法二条二項により、わが国に裁判管轄権がある。そして、民法四八四条、民事訴訟法五条により東京地方裁判所に管轄権があることになる。

2  仮に、国際裁判管轄権の決定を国内裁判管轄の規定から逆に推知すべきではなく、適正、公平、能率の目的実現の見地から決定すべきであるとしても、わが国に裁判管轄権を認めるべきである。

すなわち、(一)裁判管轄権の決定にあたっては当事者の公平を最も重視すべきところ、原告はもちろん被告木元も日本国籍を有する者であり、また被告会社は日本国法によって設立され、日本国内に主たる事務所を有する法人であるから、わが国に裁判管轄権を認めても言語上の障害はないばかりか、わが国の法令や裁判制度についても知識を有する者であるから、被告らにとってこの面での不利益はない。(二)また、被告木元は現在タイ国に居住しているが、数年前までは日本国内に居住していた者で、本件訴訟についても既にわが国で代理人を選任しており、同被告がタイ国に居住するようになったのは被告会社のバンコック駐在事務所勤務となったことによるものであるから同被告と一体をなすもので、わが国に裁判管轄権を認めても同被告を通じて十分な訴訟活動をなすことができる。(三)これに対して原告は、本件事故により前記のような傷害を負い、現在に至るも寝たきりの状態で回復の可能性のないまま入院を継続し、この間被告らからは全く被害の賠償を受けていないため経済的にきわめて困窮している。(四)不法行為を原因とする訴訟の管轄を決するにあたり、証拠の収集の便宜という点からは一般的には不法行為地に管轄を認めるべきであるが、前記のような本件事故の態様から被告木元に過失があったことは明白であり、仮に本件事故の発生に第三者が介在していたとしても、その者の氏名及び車の登録番号等は全く判明しておらず、今後も判明する可能性はなく、本件においてはもともと被告らがタイ国内で重要な証拠を収集することは不可能なのであるから、わが国に裁判管轄権を認めても被告らに不利益はない、(五)また、もしタイ国内に証拠があれば、前記のような原告に対し、被告らがそれを収集することは容易で、わが国の裁判所に提出することも可能である。

したがって、本件についてはわが国に裁判管轄権があると解すべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  本件損害賠償請求事件は、現在日本国内に居住する原告がタイ国バンコック市内で発生した交通事故によって受傷し損害を被ったため、右事故車の運転者で同市内に居住する日本国籍の被告木元に対し、第一次的には右事故に関する示談契約、第二次的にはタイ国シビル・アンド・コマーシャル法四三七条にもとづき不法行為を理由とし、またわが国の法律によって設立された法人で、同被告の使用者であり、本件事故車の所有者である被告会社に対し、右法条にもとづき不法行為を理由として、それぞれ金員の支払を求める訴訟であることは訴旨自体から明らかなところである。

二  ところで、被告らは本案前の抗弁として、わが国の裁判所は右のような訴訟については裁判管轄権を有しないと主張するので、以下この点について判断する。

1  本件のような渉外的要素を有する民事紛争の解決について、いずれの国が裁判管轄権を有するかについては、未だ確立された国際民事訴訟法上の原則はなく、わが国にもその点に関する成文法上の規定はない。したがって、本件についてわが国に裁判管轄権があるか否かは、国際民事訴訟法上の基本理念としての条理すなわち本件訴えにつきいかなる国に裁判管轄権を認めるのが、本件訴訟の審理が適正、公平、能率的に行なわれるかによって決すのが相当と解すべきである。

2  そこで、右の立場に立って本件訴えについてわが国に裁判管轄権を認めるべきか否かについて判断を進める。

(一)  本件訴えが、被告木元に対しては第一次的には示談契約に基づく金員の支払請求であり、第二次的及び被告会社に対しては不法行為による損害賠償請求であること前記のとおりであるところ、不法行為の成否は公の秩序とも関連し、またそれに関する証拠の多くは一般的に不法行為地に存在するため、その証拠の収集、取調べの便宜という観点からは、本件につきタイ国に裁判管轄権を認め、同国の裁判所で審理を行なうのが相当であるといえなくもない。

(二)  しかしながら、わが国とタイ国との間に司法共助の取決めがなされていることは当裁判所に顕著な事実であるから、本件事故原因等に関する証拠のうちタイ国内に存在するものについては、国際司法共助によりその取調べを行ない、これをわが国の裁判所へ提出することも不可能ではないばかりか、《証拠省略》によると、原告は事故後直ちに現地で入院加療を受けていたが、昭和四九年七月漸く移送することができるようになって帰国し、その後横須賀市田浦共済病院を経て東京都清瀬希望園に入院して現在に至っていることが一応認められるから、本件における損害額算定の基礎となる諸事実に関する証拠の多くはわが国内に存在するものといわなければならず、証拠の収集、取調べの便宜という面からみて必ずしもタイ国において訴訟追行がなされなければならないものではなく、訴訟の迅速処理という面においてもそのいずれが優るともいえない。

(三)  また被告会社が日本国の法律によって設立された法人で、主たる事務所がわが国内に所在するのみならず、本件事故の発生地であるタイ国バンコック市に事務所を設けていることは本件記録ならびに弁論の全趣旨からして明らかなところであるから、本件訴訟がわが国内において追行されることによって被むる不利益不便はそれ程大きいものとは考えられない。

もっとも、被告木元については、同被告が現在なおタイ国に居住していることは本件記録上明らかで、同被告にとって本件訴訟がわが国において追行されることは防禦上かなりの不利益、不便のあることが考えられないではない。しかしながら、同被告は被告会社の社員で、被告会社の現地駐在員としてバンコック市に赴いていることは弁論の全趣旨から明らかであり、また本件において訴状が被告会社のわが国内の事務所を通じてそれ程の日時を要することなく送達され、訴訟代理人も選任されていることは本件記録上明らかで、それらの点からするならば、同被告の被むる前記不利益、不便もそれ程大きいものとはいえない。

(四)  一方、《証拠省略》及び本件訴訟の経過に照らすと、原告は前記のように現在なお入院中で、強直性四肢麻痺のため歩行、起立不可能、膀胱直腸障害(大小便失禁)、高度の言語障碍、会話不可能、仮面状顔貌、記憶力、記銘力減退等の障害があるとして、昭和五三年一二月二五日東京家庭裁判所において禁治産宣告を受け、同審判がその後確定したことが認められ、本件訴えについてわが国に裁判管轄権を認めず、タイ国において提起追行すべきとした場合、原告の被むる不利益不便は極めて大きいものといわなければならない。

そして、以上の諸事情を総合勘案するならば、本件訴えにつきわが国に裁判管轄権を認めるときは、被告らとりわけ被告木元にとっては少なからぬ不利益を受けるが、その不利益も本件がタイ国で審理される場合の原告の前記のような不利益に比して、少ないものといわざるをえず、またわが国において訴訟を追行する方がより適正、能率的処理が期待できるものというべく、したがって本件訴えについてはわが国に裁判管轄権を認めるのが相当である。

三  よって、本件訴えについてわが国には裁判管轄権がない旨の被告らの本案前の抗弁は、結局理由がないというべきであるから、主文のとおり中間判決する。

(裁判長裁判官 小川昭二郎 裁判官 片桐春一 金子順一)

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